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智子のプロフィール

智子のプロフィール

私は花?の昭和30年代(笑)生まれで、結婚するまで東京の巣鴨で育ちました。 今でこそ、巣鴨は「おばあちゃんの原宿」として有名ですが、子供の頃は商店街にプラスして住宅が建ち並び、味噌工場や三菱養和会のテニスコートや野球場があり、山手線と都電が走る活気があるけれどのんびりとした町でした。 もちろん私が生まれる前から、4の(つく)日のお地蔵様の縁日は遠来の多くの参詣人でごった返し、迷子になりそうな子供は高岩寺(お地蔵様)に近づいてはいけない雰囲気でした。 巣鴨駅を境に山手線の内側には大和郷のお屋敷や柳沢吉保の庭園であった六義園があり、山手線の外側にはソメイヨシノで有名な染井や都の霊園である染井墓地があったりと、半世紀を経た今でもその点では全く変わりがないです。 が、町全体の雰囲気は、都電が廃止になり地下鉄が開通した頃から空間が減り町が混みあって、人も含めがらっと様変わり致しました。 その変遷は、昭和のどの町もがたどった時代に伴う変化だったのでしょう。

生まれた家が商家でしたので、昔のことですから家族6人に加え、住み込みで働いている大人が8人くらい同居していました。 今では想像するのも難しいことと思われます。 4人兄姉の末っ子の私は、賑やかな中で一番のおチビちゃんとして甘やかされたり弾き飛ばされたりして育っていったのです。 あまりに多くの人に囲まれた生活をしておりましたので、無いものねだりで小学生の頃はサラリーマン家庭に憧れておりました。 社宅に住む友人の家で見た、2段ベッドがとても羨ましかったです。

3歳になり幼稚園に入ると、体質改善のため日本舞踊を習い始めましたが、園では日本人より3人のアメリカ人の友達と遊ぶほうが性に合っていました。 当時の写真を見るとアメリカ人のママたちは完全なフィフティーズで、アメリカングラフィティを地で行っています。 あの頃のアメリカ人の生活や持っている物は、輝いて見えました。 もっともテレビではアメリカの番組を多く流していましたので、よその家のことをあまり知らない子供にとってはかえって親近感があったのかもしれません。(笑)

小学生になりますと、お習字も習って、ピアノも習うという いつも、東洋と西洋を行ったり来たりで、一貫性のない育てられ方をした思いがぬぐえません。 どっちつかずに小さい頃の私でも一人前に悩みもあったのですが、今にして思えば、多様(両極端)なものに魅力を感じるという面白い性格を作ってくれたのかもしれません。

中学からは立教女学院に通います。 プロテスタントの聖公会のミッションスクールですので、ここでもまた西洋の洗礼です。 落ち着いた雰囲気のキャンパスで、チャペルや講堂、高校のお教室が好きでした。 同総生の中には古さに閉口している方もいらっしゃいますが、私はあの雰囲気のままでずっとずっと生徒を温かく見守っていて欲しいと思うのです。 毎日通う学校の建物やチャペルの彫刻を含む質素で簡潔な美は、知らず知らずの内に幼い少女たちに西洋的な「日常の美」の意識を植え付け育んでくれました。 制服がないというのも、とても有難いことでした。 幼稚園のスモックやエプロン以外に制服を着ないで自由な服装で教育を受けられたことは、情操を育てる意味においては私の財産の一つで、学校や両親に感謝の気持ちで一杯です。

その後、立教大学の英米文学科に入りましたが、都心の大学にしてはクラシカルな建物が残っており、その頃はまだ規模を拡大する前でしたので、ゆったりと勉強し、スポーツ、美術鑑賞を楽しみ密度の濃い学生生活を送りました。 本館(モリス館)をご存知の方は多いと思いますが、今でもキャンパスのあちらこちらのレンガの建物が雑誌やTVコマーシャルの舞台となっていて、懐かしく感じるのです。 蔦のからまる本館、チャペル。 前庭では朝からクロッケーに興じる学生もいて、英国的雰囲気がする大学でした。  1年次から茶道を習い始め、長男を出産する直前まで続けましたが、私が一番好きなお稽古事でした。 とても素晴らしい先生にお習いできたのが、本当に幸せでした。 再開したいと思いながらなかなか腰を上げられないのは、亡くなられた先生のように信頼に足る師はいらっしゃらないと思う故です。 華道、香道、書道、和歌、お料理など 日本古来の全ての文化の集約である茶道を学べば、日本文化の理解を深めるとともに、国際社会においても何ら臆することなく堂々と振る舞えるのではないでしょうか。 松下政経塾でも茶道をカリキュラムに取り入れているのには、大いに納得です。

卒業後は親に反対されなんと就職せず、家の手伝いとお稽古事に明け暮れます。 お料理教室と茶道に加え、昔から好きだった手編みを基礎から習い始めます。 ただのお稽古よりも資格が欲しかったので指導員を養成するコースまで進んで、毎日の宿題が大変。 夜中の2時、3時まで制作に励むこととなりました。 脳が柔らかい?若い頃に学んだことは、一生涯忘れません。 実際に編むことや技法を十分に熟知した上でないと、自らデザインして、糸や編み地を決め、製図をし、編み図を作るという作業は成り立ちません。 技術習得と理論の理解は、創造的に編むということに不可欠な両輪であるということを、体験としてじっくり学びました。

この手編みがきっかけとなりホームページでジュエリーを販売するようになるとは、全く思いもよらないことでした。 「Georg Jensen」 「Torun Collection」 「BIAGI Jewelry」 のアイテムをインターネットで販売するようになる以前、2001年に初めてホームページを立ち上げたのは、大好きなビーズを使った私自身による手編み小物紹介のサイトでした。 その後、オマケとして大好きなジョージ・ジェンセンのアイテムを数点販売したことがきっかけとなり、今では3つのブランドのジュエリーをご紹介させて頂くようになりました。 お陰様で忙しくなり、残念ながらニットのホームページはクローズし、手編みは自分自身や周りの人々を楽しませるための趣味の範囲となりました。 今でも以前の手編みの作品をご存知のお客様からご注文が舞い込むことがあり、忘れられていなかったことに安堵したり致します。

Column (コラム)にも書かせていただいたように、私はジャクリーヌ・ケネディ・オナシス が大統領夫人だった頃のようなごく上質の素材で作ったシンプルなデザインの服に、アンティーク(調)の凝ったデザインの手仕事によるジュエリーや小物を合わせるスタイルが大好きです。 小さい頃からキラキラするもの、手の込んだもの、まあるいものが好きでした。 ですが、今さらビーズを糸に通してちまちま編み込む小物はなかなか売られていませんし、あったとしてもかなり高価です。 そこで、細かい手仕事の好きな私は自分自身でブローチ、スカーフ、バッグ等を編み、持ったり着けたりして楽しんでおります。

一方、ジュエリーに関しては私のディテールに凝る性格を満足させてくれる Silversmith がありました。 それが GJ (ジョージ・ジェンセン)です。 30数年前に高校生の私は、お土産としてロイヤルアポイントメントの象徴の王冠のデザインのペンダントをプレゼントされました。 10代の私には、GJの良さは全くわかりませんでした。(水着のジャンセンと混同したぐらいです。) 大学時代は、Gold 一辺倒になったり、それから、Platinum, White Gold と好みは色々と変わりました。 Silver は確かに価格的には低く、放って置けば曇りが生じる素材です。 でも、私はここ20年程、他の金属には無い繊細な細工(江戸や明治の錺職人が作ったかんざしのような)や陰影に大変魅力を感じ続けております。 現代では皆様そうでいらっしゃると思いますが、両極端であるはずの西洋と東洋の両方に子供の頃から魅力を感じる私は、その両方の要素を持ち接点の上に立っている GJ に魅了されているのです。 また、一緒に呼吸、成長してくれるような Silver の温かさが好き・・・つまり Silver の弱点そのものが好きなのです。 ジュエリーを着ける際、作ってくれた職人さんにまで思いをはせる想像力を与えてくれるだけの大きなパワーを、GJ は持っているように思えてなりません。 もちろん、Diamond +Platinum は素晴らしいと思うのですが、金額的に高いこともありますが究極的には大きさと数かしら? と思ってしまい、やはり東洋人の生活者としての私には、Siliver +Semi Precious Stone がしっくりくるのです。

ですが、アール・ヌゥヴォーのデザインばかりでなく、近未来的なモダンなデザインのスッキリした良さも見逃せません。 GJ ファンには、クラシックから入ってモダンが好きになる方と、モダンから入ってクラシックが好きになる方とがいらっしゃいます。 私は前者のほうです。 王冠のペンダントは今思えばもったいないことにお譲りしてしまったのですが、その後も毎年のイヤーペンダントやイヤークリップ、ブドウのイヤースクリュウなどを少しずつ購入して参りました。 ある時、Torun さんのメビウスのペンダントに惹かれてしまい、また、 Vivianna と呼ばれるオープンバングル・ウォッチに魅入られ(今では、生活になくてはならないものになっております。)、だんだんにモダン・アイテムにも手を広げるようになってしまいました。 どちらか一方というのではなく、クラシックとモダンの両方が好きというのが、GJ ファンに共通する傾向のようです。

GJでは、ここ数年新しいデザインや金製品に力を入れるようになってきました。 もちろん典型的なアール・ヌゥヴォーのお品も生産されていましたが、それに呼応するように種類は淘汰されぐっと少なくなり価格も高騰してきました。 とても簡単には手に入れられなくなったと残念に思っておりましたら、2009年冬 今度は Moonlight シリーズとしてクラシカルなお品がリニューアルされ新たな工房で作られ、お求め易い価格で販売されるようになりました。 時代に則した方向の変換があったというわけです。 とは申せ、昔ながらの作りのクラシカル・アイテムを愛でる気持ちもあり、今後の動向に興味津々という状況です。

GJ アイテムは工業製品ではなく、少し大げさですが芸術作品です。 今、ちょっと買えないと後回しにすると、生産中止となってしまった後に好きなアイテムを探すのは、時間と労力がかかりお値段も高くなってしまいます。 GJに関しては、「欲しい時がお買い時」という不文律がファンの間では広まっております。 私は、欲しい物、20年後も着けているであろうと考えられるアクセサリーは少し無理をしても購入しておこうと決めております。 幸い娘を持っているのですが、喜んで受け継いでくれるそうです。 その後はアンティークショップのケースに並んで、時空を超えた同好の士 = GJ ファンの方を飾る時を静かに待つことになるのが一番良いと思います。

モダン・アイテムを好きになったのは、Torun デザインが始まりですが、2004年の丁度 GJ 工房創立100周年の記念の年に、Torun さんはお亡くなりになりました。 その時は、追悼記念として FORGET - ME - KNOT の Neckring を販売させて頂きましたのがついこの間のようです。  Torun さんはご自身の工房で GJ 以外のご自身の作品を作っていらっしゃり、またその工房が、Torun さんが亡くなった後も引き継がれていると知った時は、とても嬉しかったです。 Torun さんのファンは世界中にたくさんいらっしゃいますが、日本では Torun 工房の作品は知られていなく、また、販売もされていない。 なんとか伝手をたどり、ご遺族から販売の許可がおりた時は、ああこれであまり日本では知られていなかった Torun さんの作品をご紹介することができると感激致しました。

GJ ファン、Torun ファンの一人として、少しでも多くの方に購入していただきたいと、当ショップでは、お求め易いお値段にさせていただいております。 ですから、ご購入下さったお客様はどうか大事におしまいにならないで、毎日のようにお着けになって長く楽しんでいただきたいと存じます。 何年もネットショップを続けさせていただいている内に、お客様のお子様が大きくおなりになったり、ご結婚されたりというニュースを聞かせていただけるようにもなりました。 ただ、お品物をお売りするショップではなく、それぞれのファンの方々が気分転換にフラッと立ち寄られるノスタルジックな喫茶店のような雰囲気を醸し出すホームページでありたいと、いつも心ひそかに思っております。

Sarah et Louis   神嶋 智子

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